珈琲豆自家焙煎機コーヒーロースターロボットの導入店を募集しています。

HOME お問い合わせ

CRR COFFEE ROASTER ROBOT

珈琲豆
HOME > 珈琲豆知識 - 珈琲の発祥と歴史 -

珈琲豆知識


珈琲の発祥と歴史 珈琲豆ができるまで 産地、銘柄のいろいろ
焙煎について 挽き具合について おいしい淹れ方

珈琲の発祥と歴史

もともと、噛んで味わうものだった珈琲豆。最初に飲み始めたのはイスラム教の修道者といわれ、15世紀末にはイスラム世界に広く伝わりました。
イメージ
現在のカフェの原型ともいえるコーヒーハウスが登場したのは、1554年のこと。コーヒーを飲むだけでなく、社交場としての役割も果たしました。
ヨーロッパにコーヒーが伝わったのは、17世紀に入ってから。当初は「悪魔の飲み物」としてキリスト教社会からは異端視されていましたが、クレメンス8世の洗礼を受けたことで受け入れられ、一般に浸透していきました。ヨーロッパ初の喫茶店はベネチアの「カフェ・フローリアン」。紅茶の印象が強いイギリスにもコーヒーハウスが開かれ、情報交換の場としても活躍します。そして1686年にはパリに本格的なカフェ第1号「フランソワ・プロコープ」がオープン。啓蒙思想や名画、名作を生んだカフェ文化が発達します。

コーヒーが世界中に広まるのは18世紀から19世紀にかけて。1690年、アラブ民族が独占していたコーヒー交易にオランダが進出し、東洋の植民地で栽培したコーヒーをアムステルダムに輸出。1715年頃にはフランスの将校が中央アメリカのマルティーク島にコーヒーを植樹し、これがカリブ海や中米に広がりました。南米にコーヒーが渡ったのは18世紀の中頃。ポルトガルの入植者がリオデジャネイロに大規模な農園を作り、コーヒー王国の礎を築いたのです。


コーヒーの起源1:エチオピアのカルディ
コーヒー発祥の地として最有力視されているのはエチオピア。ヤギ飼いの少年カルディが、ヤギが緑の葉と赤い実を噛み興奮するのを見て修道院の僧に告げ、一緒に葉と実を噛んだところ、疲れが吹き飛び気分が爽快になったのがはじまりといわれています。


コーヒーの起源2:イエメンのオマール
王女に恋をしたことから追放されたイスラム寺院の弟子・オマールが、山道で赤い実を食べて元気に歌う小鳥を発見し、この実をスープにして飲んだところ、疲れが癒されたといいます。その後、このスープで多くの病人を救ったオマールは、後にコーヒーの聖者として慕われるようになりました。


コーヒーセレモニー
カルディの伝説やカーファ地方でのコーヒー発見など、コーヒー発祥の歴史に深い関わりを持つエチオピア。単なる嗜好品ではなく、冠婚葬祭から日常生活にまで、コーヒーの存在が強く根付いています。そんなエチオピアの伝統的な習慣のひとつがカリオモン。「煎りたて、挽きたて、淹れたて」のコーヒーをゲストに提供するおもてなしの儀式のことで、英語ではコーヒーセレモニーと呼ばれています。日本の茶道のように、洗浄・焙煎から抽出までの一連の作業をゲストの目の前でとり行い、ゲストはパンやポップコーンを食べながらコーヒーを待ちます。抽出方法も伝統的で、挽いた豆に水を加えて煮立て、粉が沈殿したら上澄みを注ぎ分けるというもの。1煎から3煎まで、ストレート、塩入り、バターや香辛料入りと味を変えながら、感謝と祈りを込めて飲みます。カリオモンは基本的に女性が執り行い、この手順を覚えることは、現在も花嫁修業のひとつとされています。


コーヒーハウスとコーヒー禁止令
聖職者の秘薬だったコーヒーが、聖者ゲマルディンによって一般公開されたのは、1454年のこと。瞬く間にアラビア半島全域に広がり、1554年には史上初のコーヒーハウス「カーネス」が、コンスタンチノープルで開店します。その後、カイロやダマスカスにもオープンし、コーヒーの香りとともに議論・歓談する場として大繁盛しました。しかしあまりの繁盛ぶりに「コーヒーは風紀を乱す」との世論が巻き起こり、メッカではコーヒー禁止令が発令されます。こうして始まったコーヒーの正当性をめぐる攻防は、コーヒーがヨーロッパに持ち込まれてからも続き、1674年にはロンドンも、「夫婦関係に支障をきたす」として、主婦たちからコーヒーハウス禁止の嘆願書が提出されました。さらに18〜19世紀にも、ヨーロッパ各地で何度も禁止令が発令されました。


コーヒー貿易戦争
アラブ民族が独占していたコーヒー交易に対し、アジア、アフリカを植民地化したヨーロッパ列強が熾烈な争奪戦を展開した17世紀。イギリスがコーヒーから紅茶へと転換したのは、このときオランダやフランスに後れを取り、紅茶貿易に傾注したためといわれています。


ボストン茶会事件
イギリスの植民地だったアメリカは、もともとは紅茶の国。それをコーヒーの国へと変貌させた決定的なできごと、それがボストン茶会事件です。コーヒー争奪戦争に敗れたイギリスは、植民地であるアメリカに「茶条例」をしき、輸入紅茶を独占して価格を上げ、重税を課しました。これに反発した人々が、1773年、ボストンに停泊中のイギリス東インド会社の船を襲い、積荷の紅茶を次々に海に投げ捨てたのです。


コーヒー、日本上陸
日本にコーヒーが伝わったのは江戸時代。長崎出島に出入りする通詞や役人、商人、遊女だけが味わっていたといいます。日本最初のコーヒー飲用の記録は大田蜀山人によるもの。1804年に長崎奉行所に派遣された際、船上で初めてコーヒーを飲み、「焦げくさくして味ふるに堪ず」と記しています。


可否茶館(かひちゃかん)
鹿鳴館時代、文明開化を象徴する飲み物として上流階級に普及したコーヒー。その流れの中で、明治21(1888)年、東京の下谷黒門町に開店した「可否茶館(かひちゃかん)」を皮切りに、「メイゾン鴻の巣」などコーヒーを主体とした喫茶店が次々オープン。ヨーロッパ同様、文化人が集まり、文化や芸術、西洋思想を語る場となりました。


インスタントコーヒーの発明
1901年、シカゴ在住の日本人科学者、加藤サトリ博士によって発表されたソリュブル(可溶性)コーヒーが、インスタントコーヒーのはじまり。1903年にアメリカで特許が与えられましたが、当初はまだまだコーヒーの風味とは程遠かったとか。一方、同じころヨーロッパでもベルギー出身のG・ワシントンが研究・開発。こちらのほうが、香り、味とも優れていたそうです。

ページトップに戻る
Copyright (c) 2007 Allure Planning CO.,LTD All rights reserved